作家紹介(五十音順)
青木 繁
- 1882(明治15)年
- 福岡・久留米に生まれる
- 1891(明治24)年
- 久留米高等小学校に入学、同級生に坂本繁二郎いた
- 1899(明治32)年
- 洋画研究のため上京
- 1900(明治33)年
- 東京美術学校西洋画科に入学、同級生に熊谷守一がいた
この頃より上野の帝国図書館に通い、古事記、日本書記をはじめ諸国の神話、
宗教に関する知識を養う - 1902(明治35)年
- 4月、徴兵検査のため久留米に帰省するが、近視性乱視で不合格となる
9月、坂本繁二郎とともに上京 - 1903(明治36)年
- この頃より、日本、インドなどの神話画稿を制作する
- 1904(明治37)年
- 『海の幸』が第8回白馬会展で入選(重要文化財)
- 1905(明治38)年
- 『黄瀬川の陣』が第9回白馬会展で入選
茨城に滞在中、長男・幸彦(福田蘭童)誕生 - 1907(明治40)年
- 『わだつみのいろこの宮』を制作(重要文化財)
- 1911(明治44)年
- 福岡で没 享年28
梅原 龍三郎
- 1888(明治21)年
- 京都に生まれる
- 1903(明治36)年
- 浅井忠の〈聖護院洋画研究所〉に学ぶ
- 1908(明治41)年
- 渡仏 アカデミー・ジュリアンに入学
- 1909(明治42)年
- ルノワールを訪問 以後 師事
- 1914(大正3)年
- 〈二科会〉の創設に参加(大正6 年脱会)
- 1922(大正11)年
- 〈春陽会〉の設立に参加(大正14年脱会)
- 1926(大正15)年
- 〈国画創作協会〉に加わり洋画部を設立
- 1928(昭和3)年
- 日本画部の解散の伴い〈国画会〉を結成
- 1935(昭和10)年
- 帝国美術院会員
- 1939(昭和14)年
- 北京に渡り昭和17年まで滞在
この頃梅原・安井時代と称された - 1952(昭和27)年
- 文化勲章
- 1986(昭和61)年
- 東京にて没 享年97
岡 鹿之助
- 1898(明治31)年
- 東京に生まれる
- 1919(大正8)年
- 東京美術学校西洋画科に入学
- 1924(大正13)年
- 同校を卒業
- 1925(大正14)年
- フランスへ渡り、この頃、藤田嗣治を訪ねる
サロン・ドートンヌに 《風景》 を出品し初入選 - 1927(昭和2)年
- この頃からジョルジュ・スーラ表現技法を意識する
- 1939(昭和14)年
- 帰国
- 1940(昭和15)年
- 春陽会会員となり、第13回展に滞欧作12点を特別陳列
- 1952(昭和27)年
- 《遊蝶花》 その他の功績に対して芸術選奨文部大臣賞を受ける
- 1964(昭和39)年
- 日本藝術院賞受賞
- 1972(昭和47)年
- 文化勲章
- 1978(昭和53)年
- 東京にて没 享年79
岡田 三郎助
- 1869(明治2)年
- 佐賀に生まれる
- 1893(明治26)年
- 〈天真道場〉に入門 黒田清輝 久米桂一郎等に師事
- 1895(明治28)年
- 第4回内国勧業博覧会で3等賞を受賞
- 1897(明治30)年
- フランスに留学し画家のコランに師事
- 1902(明治35)年
- 帰国後は東京美術学校教授
- 1912(大正元)年
- 藤島武二と〈本郷洋画研究所〉を設立
- 1913(大正2)年
- 外光主義の風景画や人物画を描く
代表作に「あやめの衣」「婦人半身像」等 - 1937(昭和12)年
- 文化勲章
- 1939(昭和14)年
- 東京にて没 享年71
熊谷 守一
- 1880(明治13)年
- 岐阜県・中津川に生まれる
- 1904(明治37)年
- 東京美術学校西洋画科選科を卒業する
- 1916(大正5)年
- 〈二科会〉会員に推挙される
- 1928(昭和3)年
- 次男・陽が急死 「陽の死んだ日」を制作
- 1947(昭和22)年
- 〈二紀会〉の創立に参加 長女・萬が死去
- 1951(昭和26)年
- 梅原龍三郎の勧めで〈清光会〉の同人に加わる
〈二紀会〉を退会 - 1976(昭和51)年
- 岐阜・恵那に熊谷守一記念館が開館する
- 1977(昭和52)年
- 東京にて没 享年97
- 1985(昭和60)年
- 豊島区に熊谷守一美術館が開館
- 1990(平成2)年
- 村山祐太郎記念熊谷守一記念室開室(天童市美術館)
小磯 良平
- 1903(明治36)年
- 神戸に生まれる
- 1922(大正11)年
- 東京美術学校に入学
同級生に荻須高徳、牛島憲之、山口長男がいた - 1927(昭和2)年
- 東京美術学校西洋画科を首席で卒業
- 1928(昭和3)年
- フランスに留学
- 1936(昭和11)年
- 猪熊弦一郎、脇田和らと〈新制作派協会〉を結成
- 1941(昭和16)年
- 第4回新文展に「斉唱」を出品
- 1947(昭和22)年
- 谷崎潤一郎の「細雪」の挿絵を担当
- 1950(昭和25)年
- 東京藝術大学 油絵科講師となる
- 1954(昭和29)年
- 神奈川・逗子にアトリエを構える
- 1962(昭和37)年
- 川端康成の「古都」の挿絵を担当
- 1974(昭和49)年
- 赤坂迎賓館の壁画「絵画」「音楽」を制作
- 1982(昭和57)年
- 日本藝術院会員となる
- 1983(昭和58)年
- 文化勲章
- 1988(昭和63)年
- 神戸にて没 享年85
- 1992(平成4)年
- 小磯良平大賞展が設立される
小出 楢重
- 1887(明治20)年
- 大阪に生まれる
- 1907(明治40)年
- 東京美術学校日本画科に入学、後に洋画に転向
- 1914(大正 3)年
- 東京美術学校西洋画科 卒業
- 1919(大正8)年
- 「Nの家族」で二科展樗牛賞を受賞
- 1920(大正9)年
- 「少女お梅の像」で二科賞を受賞、二科会友に推挙
- 1921(大正10)年
- 渡欧、翌年帰国
この頃よりガラス絵を描くようになる - 1923(大正12)年
- 二科会員に推挙される
- 1924(大正13)年
- 鍋井克之、国枝金三、黒田重太郎ら〈信濃橋洋画研究所〉を設立
- 1925(大正14)年
- 新感覚派の文学同人誌「辻馬車」が創刊、表紙、扉、カットを執筆する
- 1926(大正15)年
- 兵庫に転居し、アトリエを新築
- 1931(昭和6)年
- 兵庫にて没 享年43
児島 善三郎
- 1893(明治26)年
- 福岡に生まれる
- 1914(大正3)年
- 上京 岡田三郎助の〈本郷洋画研究所〉に学ぶ
- 1922(大正11)年
- 二科展入選 林武らと二科賞を受賞する
- 1923(大正12)年
- 萬鉄五郎の〈圓鳥会〉に会員として参加
- 1928(昭和3)年
- フランスに留学 帰国後二科展に滞欧作陳列
- 1917(大正6)年
- 〈関西美術院〉でデッサンを学ぶ
- 1919(大正8)年
- 欧州留学 スペインに滞在(大正12年まで)
- 1929(昭和4)年
- 〈二科会〉会員に推挙される
- 1930(昭和5)年
- 二科会脱会 林武らと〈独立美術協会〉創設
- 1936(昭和11)年
- 京都帝国大学美術部顧問
- 1947(昭和22)年
- 日本藝術院会員
- 1950(昭和25)年
- 京都市立美術大学及び専門学校教授
- 1959(昭和34)年
- 第10回毎日美術賞
- 1961(昭和36)年
- 京都にて没 享年69
坂本 繁二郎
- 1882(明治15)年
- 福岡・久留米市に生まれる
- 1902(明治35)年
- 青木繁と上京 小山正太郎の〈不同舎〉に入門
- 1904(明治37)年
- 〈太平洋画会研究所〉に学ぶ
- 1912(明治45)年
- 第6 回文展「うすれ日」出品
- 1914(大正3)年
- 〈二科会〉設立に参加 監査委員
- 1921(大正10)年
- 絵画研究のため渡仏 大正13年帰国
- 1925(大正14)年
- 二科展に滞欧作を特別出品
- 1931(昭和6)年
- 福岡・八女に移住
- 1947(昭和22)年
- 帝国芸術院会員推挙の打診を辞退
- 1954(昭和29)年
- 第5回毎日美術賞を受賞
- 1956(昭和31)年
- 文化勲章
- 1969(昭和44)年
- 福岡にて没 享年87
林 武
- 1896(明治29)年
- 東京に生まれる
- 1919(大正8)年
- この頃画家になろうと決意する
- 1921(大正10)年
- 第8回二科展「婦人像」初入選 樗牛賞受賞
- 1926(大正15)年
- 〈一九三〇年協会〉会員となる
- 1930(昭和5)年
- 〈二科会〉脱会 〈独立美術協会〉を創設
- 1934(昭和9)年
- 渡欧
- 1949(昭和24)年
- 第1回毎日美術賞を受賞
- 1952(昭和27)年
- 東京藝術大学美術学部教授(昭和38年退任)
- 1959(昭和34)年
- 日本藝術院賞受賞
- 1967(昭和42)年
- 文化勲章
- 1975(昭和50)年
- 東京にて没 享年78
安井 曾太郎
- 1888(明治21)年
- 京都に生まれる
- 1904(明治37)年
- 〈聖護院洋画研究所〉で浅井の指導を受ける
- 1906(明治39)年
- 同研究所から発展した〈関西美術院〉に通う
- 1907(明治40)年
- 渡仏 アカデミー・ジュリアンに入学
- 1915(大正4)年
- 第2 回二科展滞欧作品特別陳列 二科会会員
- 1934(昭和9)年
- 第21回二科展「金蓉」出品
- 1936(昭和11)年
- 〈一水会〉を創設する
- 1944(昭和19)年
- 東京美術学校教授 帝室技芸員
- 1952(昭和27)年
- 文化勲章
- 1955(昭和30)年
- 湯河原にて没 享年67