第22回東美特別展 小品たちの大いなる輝き | おすすめの展覧会 | 美術商 丸栄堂 marueido(有限会社丸栄堂)は、高山辰雄(髙山辰雄)、平山郁夫を中心とした物故作家、下田義寛、竹内浩一、田渕俊夫、牧進の現存作家をはじめ、大家より新人まで幅広いラインアップを誇る、精選された日本の絵画の卸商です。

おすすめの展覧会

※11日(金)はプレビュー公開日につき、関係者のみ入場可能となります。

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作家紹介(五十音順)

青木 繁
1882(明治15)年
福岡・久留米に生まれる
1891(明治24)年
久留米高等小学校に入学、同級生に坂本繁二郎いた
1899(明治32)年
洋画研究のため上京
1900(明治33)年
東京美術学校西洋画科に入学、同級生に熊谷守一がいた
この頃より上野の帝国図書館に通い、古事記、日本書記をはじめ諸国の神話、
宗教に関する知識を養う
1902(明治35)年
4月、徴兵検査のため久留米に帰省するが、近視性乱視で不合格となる
9月、坂本繁二郎とともに上京
1903(明治36)年
この頃より、日本、インドなどの神話画稿を制作する
1904(明治37)年
『海の幸』が第8回白馬会展で入選(重要文化財)
1905(明治38)年
『黄瀬川の陣』が第9回白馬会展で入選
茨城に滞在中、長男・幸彦(福田蘭童)誕生
1907(明治40)年
『わだつみのいろこの宮』を制作(重要文化財)
1911(明治44)年
福岡で没 享年28
梅原 龍三郎
1888(明治21)年
京都に生まれる
1903(明治36)年
浅井忠の〈聖護院洋画研究所〉に学ぶ
1908(明治41)年
渡仏 アカデミー・ジュリアンに入学
1909(明治42)年
ルノワールを訪問 以後 師事
1914(大正3)年
〈二科会〉の創設に参加(大正6 年脱会)
1922(大正11)年
〈春陽会〉の設立に参加(大正14年脱会)
1926(大正15)年
〈国画創作協会〉に加わり洋画部を設立
1928(昭和3)年
日本画部の解散の伴い〈国画会〉を結成
1935(昭和10)年
帝国美術院会員
1939(昭和14)年
北京に渡り昭和17年まで滞在
この頃梅原・安井時代と称された
1952(昭和27)年
文化勲章
1986(昭和61)年
東京にて没 享年97
岡 鹿之助
1898(明治31)年
東京に生まれる
1919(大正8)年
東京美術学校西洋画科に入学
1924(大正13)年
同校を卒業
1925(大正14)年
フランスへ渡り、この頃、藤田嗣治を訪ねる
サロン・ドートンヌに 《風景》 を出品し初入選
1927(昭和2)年
この頃からジョルジュ・スーラ表現技法を意識する
1939(昭和14)年
帰国
1940(昭和15)年
春陽会会員となり、第13回展に滞欧作12点を特別陳列
1952(昭和27)年
《遊蝶花》 その他の功績に対して芸術選奨文部大臣賞を受ける
1964(昭和39)年
日本藝術院賞受賞
1972(昭和47)年
文化勲章
1978(昭和53)年
東京にて没 享年79
岡田 三郎助
1869(明治2)年
佐賀に生まれる
1893(明治26)年
〈天真道場〉に入門 黒田清輝 久米桂一郎等に師事
1895(明治28)年
第4回内国勧業博覧会で3等賞を受賞
1897(明治30)年
フランスに留学し画家のコランに師事
1902(明治35)年
帰国後は東京美術学校教授
1912(大正元)年
藤島武二と〈本郷洋画研究所〉を設立
1913(大正2)年
外光主義の風景画や人物画を描く
代表作に「あやめの衣」「婦人半身像」等
1937(昭和12)年
文化勲章
1939(昭和14)年
東京にて没 享年71
熊谷 守一
1880(明治13)年
岐阜県・中津川に生まれる
1904(明治37)年
東京美術学校西洋画科選科を卒業する
1916(大正5)年
〈二科会〉会員に推挙される
1928(昭和3)年
次男・陽が急死 「陽の死んだ日」を制作
1947(昭和22)年
〈二紀会〉の創立に参加 長女・萬が死去
1951(昭和26)年
梅原龍三郎の勧めで〈清光会〉の同人に加わる
〈二紀会〉を退会
1976(昭和51)年
岐阜・恵那に熊谷守一記念館が開館する
1977(昭和52)年
東京にて没 享年97
1985(昭和60)年
豊島区に熊谷守一美術館が開館
1990(平成2)年
村山祐太郎記念熊谷守一記念室開室(天童市美術館)
小磯 良平
1903(明治36)年
神戸に生まれる
1922(大正11)年
東京美術学校に入学
同級生に荻須高徳、牛島憲之、山口長男がいた
1927(昭和2)年
東京美術学校西洋画科を首席で卒業
1928(昭和3)年
フランスに留学
1936(昭和11)年
猪熊弦一郎、脇田和らと〈新制作派協会〉を結成
1941(昭和16)年
第4回新文展に「斉唱」を出品
1947(昭和22)年
谷崎潤一郎の「細雪」の挿絵を担当
1950(昭和25)年
東京藝術大学 油絵科講師となる
1954(昭和29)年
神奈川・逗子にアトリエを構える
1962(昭和37)年
川端康成の「古都」の挿絵を担当
1974(昭和49)年
赤坂迎賓館の壁画「絵画」「音楽」を制作
1982(昭和57)年
日本藝術院会員となる
1983(昭和58)年
文化勲章
1988(昭和63)年
神戸にて没 享年85
1992(平成4)年
小磯良平大賞展が設立される
小出 楢重
1887(明治20)年
大阪に生まれる
1907(明治40)年
東京美術学校日本画科に入学、後に洋画に転向
1914(大正 3)年
東京美術学校西洋画科 卒業
1919(大正8)年
「Nの家族」で二科展樗牛賞を受賞
1920(大正9)年 
「少女お梅の像」で二科賞を受賞、二科会友に推挙
1921(大正10)年
渡欧、翌年帰国
この頃よりガラス絵を描くようになる
1923(大正12)年
二科会員に推挙される
1924(大正13)年
鍋井克之、国枝金三、黒田重太郎ら〈信濃橋洋画研究所〉を設立
1925(大正14)年
新感覚派の文学同人誌「辻馬車」が創刊、表紙、扉、カットを執筆する
1926(大正15)年
兵庫に転居し、アトリエを新築
1931(昭和6)年
兵庫にて没 享年43
児島 善三郎
1893(明治26)年
福岡に生まれる
1914(大正3)年
上京 岡田三郎助の〈本郷洋画研究所〉に学ぶ
1922(大正11)年
二科展入選 林武らと二科賞を受賞する
1923(大正12)年
萬鉄五郎の〈圓鳥会〉に会員として参加
1928(昭和3)年
フランスに留学 帰国後二科展に滞欧作陳列
1917(大正6)年
〈関西美術院〉でデッサンを学ぶ
1919(大正8)年
欧州留学 スペインに滞在(大正12年まで)
1929(昭和4)年
〈二科会〉会員に推挙される
1930(昭和5)年
二科会脱会 林武らと〈独立美術協会〉創設
1936(昭和11)年
京都帝国大学美術部顧問
1947(昭和22)年
日本藝術院会員
1950(昭和25)年
京都市立美術大学及び専門学校教授
1959(昭和34)年
第10回毎日美術賞
1961(昭和36)年
京都にて没 享年69
坂本 繁二郎
1882(明治15)年
福岡・久留米市に生まれる
1902(明治35)年
青木繁と上京 小山正太郎の〈不同舎〉に入門
1904(明治37)年
〈太平洋画会研究所〉に学ぶ
1912(明治45)年
第6 回文展「うすれ日」出品
1914(大正3)年
〈二科会〉設立に参加 監査委員
1921(大正10)年
絵画研究のため渡仏 大正13年帰国
1925(大正14)年
二科展に滞欧作を特別出品
1931(昭和6)年
福岡・八女に移住
1947(昭和22)年
帝国芸術院会員推挙の打診を辞退
1954(昭和29)年
第5回毎日美術賞を受賞
1956(昭和31)年
文化勲章
1969(昭和44)年
福岡にて没 享年87
林 武
1896(明治29)年
東京に生まれる
1919(大正8)年
この頃画家になろうと決意する
1921(大正10)年
第8回二科展「婦人像」初入選 樗牛賞受賞
1926(大正15)年
〈一九三〇年協会〉会員となる
1930(昭和5)年
〈二科会〉脱会 〈独立美術協会〉を創設
1934(昭和9)年
渡欧
1949(昭和24)年
第1回毎日美術賞を受賞
1952(昭和27)年
東京藝術大学美術学部教授(昭和38年退任)
1959(昭和34)年
日本藝術院賞受賞
1967(昭和42)年
文化勲章
1975(昭和50)年
東京にて没 享年78
安井 曾太郎
1888(明治21)年
京都に生まれる
1904(明治37)年
〈聖護院洋画研究所〉で浅井の指導を受ける
1906(明治39)年
同研究所から発展した〈関西美術院〉に通う
1907(明治40)年
渡仏 アカデミー・ジュリアンに入学
1915(大正4)年
第2 回二科展滞欧作品特別陳列 二科会会員
1934(昭和9)年
第21回二科展「金蓉」出品
1936(昭和11)年
〈一水会〉を創設する
1944(昭和19)年
東京美術学校教授 帝室技芸員
1952(昭和27)年
文化勲章
1955(昭和30)年
湯河原にて没 享年67
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