会期 令和5年10月18日(水)〜10月24日(火) ※最終日は4時閉場
会場 松坂屋静岡店 北館2階 アート&ラグジュアリーサロン Blanc CUBE
ごあいさつ
父の好きな季節になりました。このたび松坂屋さんの画廊に於いて、
父の淡彩画展を開いていただくことになりました。
父は子供の頃から風景画が好きで、当時貴重だった水彩絵具を親に買ってもらい、
武蔵野を駆けめぐりながら盛んに描き、中学時代には大下藤次郎の日本水彩画研究所に通っていました。
色はなるべく少なく、線を生かして描く水彩画を「オレは淡彩画って言ってるんだ」とよく申しておりました。
外出時は、いつもスケッチブックと鉛筆を持ち、気に入った雲が出ると描いていました。
風景、果物、花等、どうぞ楽しんでご覧いただけるとうれしく存じます。
曽宮夕見
曽宮 一念 略歴
- 明治26年
- 9月9日、東京日本橋に生まれる。本名、喜七。
- 明治27年
- 曽宮禄祐の養子になる。
- 明治37年
- 三宅克己『水彩画手引』を与えられる。
- 明治39年
- 私立早稲田中学入学。
- 明治40年
- 大下藤次郎の日本水彩画研究所の日曜講習へ通う。
石井柏亭に批評を受ける。 - 明治44年
- 赤坂溜池の白馬会研究所で石膏写生。早稲田中学校卒業。
東京美術学校西洋画科予備科入学。同級に寺内萬治郎らがいた。 - 大正 2年
- 美術学校で藤島武二の指導を受ける。
この頃、養父禄祐から一念の号を贈られる。 - 大正 3年
- 第8回文展に「酒蔵」入選。
- 大正 5年
- 中村彝、中原悌二郎を知る。東京美術学校卒業。
- 大正 6年
- 田子浦の井上恒也方に滞在。
- 大正 8年
- 西宮・甲南園に滞在(~大正9年)。
- 大正10年
- 中村彝の面倒をみる。佐伯祐三と交友。
- 大正12年
- 小出楢重を訪ねる。会津八一を案内し中村彝を見舞う。
- 大正14年
- 第12回二科展に「冬日」「荒園」「晩秋風景」出品。「冬日」が樗牛賞を受賞。
旧制静岡高等学校講師(~大正15年)。 - 昭和 2年
- 富士見高原療養所に入院。
- 昭和 6年
- 二科会会員となる。
- 昭和 9年
- 曽宮一念個展(大阪朝日ビル)。二科会退会。
- 昭和10年
- 独立美術協会会員になる。
- 昭和12年
- 独立美術協会退会、国画会入会。
カリエスの疑いで富士見高原療養所入院。 - 昭和18年
- 『夕ばえ』刊行。安井曾太郎と仙台で東北美術展審査。
安井より東京美術学校講師を要請される。 - 昭和20年
- 富士宮市に住む。
- 昭和21年
- 再興国画会に入会、日展審査員。
- 昭和23年
- 小笠郡掛川(掛川市)に滞在、砂浜を写生。
- 昭和27年
- 御前崎写生。南部町(山梨)で山口源と同泊。
- 昭和30年
- 『榛の畦みち』刊行。
- 昭和32年
- 浜松にて曽宮、耳野卯三郎、鈴木保徳、寺内萬治郎、
石橋武治、高間惣七の6人で六鳥会を開催。 - 昭和33年
- 随筆『海辺の溶岩』が日本エッセイストクラブ賞を受賞。
- 昭和34年
- 緑内障手術。右目失明。
- 昭和40年
- 視力障害のため国画会退会。
- 昭和42年
- 雨田光平夫妻、夫人とヨーロッパ旅行(~昭和43年)。
- 昭和46年
- 失明。文筆活動を始める。
- 平成 4年
- 『画家は廃業』『九十九の店じまい』刊行。
- 平成 6年
- 12月21日、死去。享年101歳。
- 令和 4年
- 5月、松坂屋静岡店にて「2022春リニューアルオープン記念 曽宮一念作品展」開催。
- 令和 5年
- 10月、松坂屋静岡店にて「曽宮一念淡彩画展」開催。