愛神無限 石本正 | おすすめの展覧会 | 美術商 丸栄堂 marueido(有限会社丸栄堂)は、高山辰雄(髙山辰雄)、平山郁夫を中心とした物故作家、下田義寛、竹内浩一、田渕俊夫、牧進の現存作家をはじめ、大家より新人まで幅広いラインアップを誇る、精選された日本の絵画の卸商です。

おすすめの展覧会

愛神無限 石本正

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石本は、「絵を描く場合の基本的な勉強方法はヌードのデッサンを重ねることだ」と言う。石本自身、京都絵画専門学校に通いながら、二つの研究所にも通い、人体デッサンを徹底して勉強しており、そのおかげで何でも描けるようになった。「だからヌードを勉強していれば、花であろうが、動物であろうが、風景であろうが、何を見たらよいかわかるようになる」と語っている。

石本はデッサンの段階で、その被写体を介して様々な想い、イメージを連想しながら、一つの作品と言えるほどの完成度に仕上げており、描きたいテーマが決まるとそれに合うデッサンを選び出して描いている。しかし一枚の絵に集中して一気に仕上げてしまうことはなかった。一日目と二日目では違う絵を描くようにして、しばらく間を置くことで、描いていた時と心情に変化が生まれ、未完成であるが故の奥深さに気づくことができるからである。一度見て脳裏に焼き付けたものはいつまでも忘れない記憶力の持ち主であった石本は、さまざまな絵を同時進行で描きながら、それぞれの作品の気づかなかった部分や欠点など、イメージの増幅を繰り返し、作品の完成度をより高めていくことを楽しんでいた。

また石本は、舞妓のデッサンをしていた際に如意輪観音像を連想し、その怪しいまでの美しさが伏し目がちな目にあることに気づいて、モデルを仏像にイメージして描いた。そしてそこに介在する音色や感覚美を連想し、そこから展開される空想の世界と、現実の情景との狭間で独自のストーリーを演出し、文学的な要素までもが感受できる個性豊かな作品を創作している。

図版:「舞妓立像」 99.0×56.0cm

「舞妓立像」 99.0×56.0cm

略歴

1920(大正9)年、島根県那賀郡岡見村(現浜田市三隅町岡見)生まれ。1940(昭和15)年、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)に入学した。復員後、第3回日展に「三人の少女」が初入選。以後2年連続で入選。1950年より活動の場を創造美術(後に新制作協会と統合)に求め、第3回創造美術展で「五条坂」、「踊子」が入選。その後、独自の美を追求した鳥の連作や舞妓、裸婦の作品などで画壇の注目を集めた。1964年よりイタリアをはじめとするヨーロッパをしばしば訪れ、中世ヨーロッパ美術に取材した作品を数多く発表する。1974年の創画会設立後は同会の中心的存在として活躍を続けた。

また、京都市立芸術大学や京都造形芸術大学などで長年指導し、多くの後進を育てた。1971年には第3回日本芸術大賞、第21回芸術選奨文部大臣賞を受賞したが、以後全ての賞を辞退。生涯、地位や名誉を求めることなく、自分自身の表現を追及し続けた。その姿勢とすぐれた表現力は、今もなお多くの作家に影響を与えている。

2001年4月7日、ふるさとに石正美術館開館。2009年まで画家自らによる絵画教室が開催され、絵を描く心とよろこびを伝え続けた。

2015年(平成27)年9月26日逝去。享年95。

略年譜

1920(大正9)年 
7月3日 島根県那賀郡岡見村(現三隅町)に生まれる
1938(昭和13)年 18歳
島根県立浜田中学校卒業(第44期生)
1944(昭和19)年 24歳
京都市立絵画専門学校日本画科本科を卒業する
1947(昭和22)年 27歳
『文部省第3回日本美術展覧会』に「三人の少女」が入選する
1948(昭和23)年 28歳
『京都市美術展』に「風景」を出品。京展賞第一席を受賞し、京都市美術館買い上げとなる
1949(昭和24)年 29歳
京都市立美術専門学校助手となる
『文部省第5回日本美術展覧会』に「馬」を出品し、入選する
1950(昭和25)年 30歳
『第3回創造美術展』に「五条坂」「踊子」を出品、入選する
1951(昭和26)年 31歳
創造美術と新制作派協会が合流、新制作協会日本画部が発足。
『第15回新制作展』に「影」「旅へのいざない」を出品し入選。
新作家賞を受賞。以後3回受賞。
1956(昭和31)年 36歳
新制作協会日本画部会員に推挙される
1959(昭和34)年 39歳
石本正・加山又造・横山操(1966年より平山郁夫が加わる)による轟会が発足し、大作を発表する研究会的な展覧会として注目される。特に「横臥舞妓」が話題となる
1960(昭和35)年 40歳
東京国立近代美術館主催の『日本画の新世代展』に「桃花鳥」出品(同年開催の村越画廊・彌生画廊主催の新作個展に出品後、翌年、文部省買い上げとなる)
1964(昭和39)年 44歳
初めてイタリアに取材旅行する
1965(昭和40)年 45歳
京都市立芸術大学助教授となる
1970(昭和45)年 50歳
京都市立芸術大学教授となる
1971(昭和46)年 51歳
新潮社第3回日本芸術大賞、第21回芸術選奨文部大臣賞を受賞する。以後、全ての賞を辞退
1974(昭和49)年 54歳
新制作協会日本画部37名全員が退会、新たに創画会を結成。行動を共にする
1986(昭和61)年 66歳
京都市立芸術大学退職、同大名誉教授となる
京都芸術短期大学客員教授となる
1991(平成 3)年 71歳
京都造形芸術大学開学、同校教授となる
1996(平成 8)年 76歳
朝日新聞社主催『石本正-聖なる視線のかなたに-』を東京・京都・下関・大阪の大丸百貨店と島根県立博物館で開催
2001(平成13)年 81歳
石正美術館(島根県三隅町)開館
朝日新聞社主催『石正美術館開館記念 石本正』を東京・福岡・京都の大丸百貨店と石正美術館で開催
2003(平成15)年 83歳
『日本画の未来(あした)』展(浜田市世界こども美術館)開催
2004(平成16)年 84歳
『石本正 花の夢展』展(浜松市秋野不矩美術館・石正美術館) 開催
2005(平成17)年 85歳
『石本正』(箱根・芦ノ湖成川美術館)開催
2006(平成18)年 86歳
『思い遥かに 石本正―石正美術館5周年記念―』を東京・大阪・京都・名古屋・横浜の髙島屋と石正美術館で開催
2007(平成19)年 87歳
初の自選展『感動こそ我が命』(浜田市立石正美術館)開催
2008(平成20)年 88歳
『石本正米寿記念 心で描いた日本画展』を松江(一畑百貨店)・浜松市美術館・京都造形芸術大学・石正美術館で開催
2009(平成21)年 89歳
塔天井画(石正美術館)完成
京都中央信用金庫創立70周年・石本正画業70周年記念『石本正』(中信美術館)開催。以降、2015年まで毎年新作展を中信美術館で開催。
2010(平成22)年 90歳
石正美術館新館オープン
2013(平成25)年 93歳
平成25年度川端康成生誕月記念企画『日本画家 石本正 -川端康成が惹かれた美-』開催(茨木市立川端康成文学館)
2015(平成27)年 95歳
9月26日逝去

図版:「苔の華」 116.5×91.0cm

「苔の華」
116.5×91.0cm

図版:「萌春」 170.6×69.1cm

「萌春」
170.6×69.1cm

図版:「更衣」 97.0×66.8cm

「更衣」
97.0×66.8cm

図版:「舞妓」 96.4×62.3cm

 

「舞妓」
96.4×62.3cm

図版:「無」 79.0×128.0cm

「無」
79.0×128.0cm

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